歴史から学ぶ大和魂

歴史を紐解き、日本人の大和魂が垣間見えるエピソードをご紹介いたします。

昭和

大陸打通作戦

太平洋戦争末期に、日本陸軍が中国戦線で実行した最大規模の進攻作戦です。正式には一号作戦と名付け、大陸打通作戦は通称で、大陸縦断作戦とも呼びました。作戦の目的は中国奥地の米空軍基地を攻略して、B29爆撃機による本土空襲を防ぐこと、海上交通が不安…

ソ連対日参戦

連合国が発表したポツダム宣言を黙殺した日本に対し、世界平和を早急に回復するために武力攻撃を行うことが宣言されました。これにより、日ソ中立条約は完全に破棄、ソ連軍は対日参戦を実行し、満州国、樺太南部、朝鮮半島、千島列島に侵攻し、日本軍と各地…

原爆投下計画

1945年8月13日に行われたアメリカの軍事専門家らによる交渉をまとめた資料はより強力な三回目の攻撃のための原爆用材料がマリアナ諸島にほぼ集められ、8月19日に用いられる可能性があった事を裏付けている。さらなる12回の攻撃用に原爆製造の準備がなされ、…

終戦記念日を考える

日本人の戦争の終戦記念日は8月15日と決まっています。今年は戦後70周年ということで、総理談話や中国が対日戦勝利の軍事パレードを予定しており、ことさら「終戦の日」が強調される年となっております。日本人が終戦の日と信じる8月15日とは何でしょうか。…

ラエ・サラモアの戦い

ラエ・サラモアの戦いは、太平洋戦争(大東亜戦争)中のニューギニア戦線における戦闘の1つです。ニューギニア島東部の要地ラエとサラモアを占領していた日本軍を、オーストラリア軍を主体とする連合軍が攻撃し、ラエとサラモアを奪還しました。日本軍は標高…

第1次ソロモン海戦

ツラギの日本守備隊をほぼ全滅させた後、1万あまりの海兵隊がガ島に上陸を果たします。軍属を除く陸戦隊など戦闘要員はわずか400人ほどという日本軍は必死に応戦したが、多勢に無勢で飛行場を放棄せざるを得ませんでした。連絡を受けた日本海軍は三川軍…

ラバウル航空隊

ラバウルはパプアニューギニア領ニューブリテン島のガゼル半島東側、良港シンプソン湾を臨む都市。東ニューブリテン州の州都であります。ラバウルはコプラやコーヒー、ココアの産地として有名で、周囲は火山地帯として知られております。第二次世界大戦中の1…

ニューギニア戦線

昭和17年から18年前半の東部ニューギニアは、ソロモン諸島と並んで太平洋戦争の戦局を左右する戦局の要でした。面積は世界第二位の77万平方キロのこの島は、平均降雨量2000~3000ミリという高温多湿地帯、海岸から一歩入れば千古斧を知らぬジャングルが生い…

竹永事件

竹永事件とは大東亜戦争のニューギニア戦線で日本軍の師団の一部が集団で、オーストラリア軍に投降した珍しい事件です。1945年(昭和20年)3月から4月頃、日本陸軍第41師団歩兵第239連隊は、東部ニューギニア北岸アイタペ南東内陸のトリセリー山脈南側で、追…

ポートモレスビー侵攻作戦(オーエンスタンレー山脈越え)

パプアニューギニア本島の珊瑚海側にあるポートモレスビーは文字通り天然の良港です。これは沖合に一直線に伸びた環礁の一部があり、これが見事な防波堤の役割をしており、内海は水深 50m 位で、うねりは全く入ってこなく大艦隊が停泊可能ですから海軍が着目…

ダンピールの悲劇

前線基地ラバウルのあるニューブリテン島と、ニューギニア島の間にはダンピール海峡と呼ばれる海峡があります。昭和18年初旬、日本軍はラエで壊滅的な打撃を受けていたが、体勢の建て直しをはかって、第51師団の残る7千名を8隻の輸送船でラエ地区に上陸させ…

ペリリュー島の戦いと大和魂

この小さな島でくりひろげられた戦闘は、これまでの島にまさる壮絶さだったのです。オレンジ・ビーチ、この海岸は1944年9月15日に始まった米軍のペリリュー島への最初の上陸地点でした。米軍は、既に制空制海権を抑えており、その上陸前に相当の爆撃をこの島…

辻政信とガダルカナルの戦い

ガダルカナル島の戦いでも実情を無視した攻撃を強行した作戦参謀。 辻の責任であるとする説によると、ガダルカナル島での作戦の過程では現地指揮官の川口清健少将と対立し、参謀本部作戦参謀の立場を利用して川口少将を罷免させた。辻が攻撃しようとしていた…

ガダルカナルの戦いの総括

11月中旬頃までガダルカナル島の争奪をめぐり日本軍とアメリカ軍は必死の戦いを続けた。結局、アメリカ軍は、マタニカウ川西岸高地まで橋頭堡を拡大し、そしてこの橋頭堡に武器・弾薬、兵站物資等を継続して補給し、常に日本軍に勝る戦力を維持し続けた。日…

第2師団

10月初旬、百武晴吉中将以下の第17軍戦闘司令部がガダルカナル島へ進出し、第2師団(師団長・丸山政男中将)が同島に派遣された。作戦目標は、飛行場を挟んで川口支隊とは反対側の西側に上陸し、飛行場占領することであった。なお、川口支隊の輸送時にネック…

一木支隊

百武晴吉陸軍中将指揮の第17軍は、より重要な目標であるポートモレスビーの攻撃前に、ガダルカナルとツラギを奪回するように命じられたのである。第17軍は5万人の編成だったが命令がでたとき、軍の兵力はひろく分散していた。第2師団はジャワとフィリピンに…

ガダルカナルの戦い

ガダルカナル島は、アメリカ軍にとってはラバウル攻略の足掛かりとして飛行場を確保する ために、日本軍にとっては、ポートモレスビー攻略と相俟って珊瑚海海域における有利な戦 略態勢を確立するために重要な島であり、どちらがこの島を確保しているかがじ…

「アーノルド・J・トインビー」大東亜戦争の日本の評価

「第2次世界大戦によって、日本人は日本のためというよりも、むしろ戦争によって利益を得た国々のために偉大なる歴史を残したと言わざるを得ない。その国々とは日本の掲げた短命な理想であった大東亜共栄圏に含まれた国々である。日本人が歴史上に残した業績…

マッカーサーの回顧

日本には石油がない、錫がない、綿がない、ゴムもない。その供給を全て絶たれたら、どんな小国でも戦争を決断する。日本人は、もし原材料供給が断たれたら(経済封鎖されたら)一千万から一千二百万が失業するのではないかと恐れていた。 それ故に、日本が第…

真岡郵便電信局事件での大和魂

真岡郵便電信局事件とは1945年8月20日、樺太真岡郡真岡町に終戦前のどさくさに紛れてソ連軍の日本領への侵略が行われている中での事件でソ連軍が艦砲射撃を行って侵攻した際、真岡郵便局電話交換手(当時の郵便局では電信電話も管轄していた)の女性12名のう…

樋口季一郎とユダヤ人

樋口季一郎さんは1918年、陸軍大学校を卒業。当時のエリートでした。各国の情報収集にあたる情報武官としてヨーロッパやロシアに赴任し、順調に出世街道を歩んでいました。そして日中戦争が勃発した1937年、満州の関東軍で諜報活動のトップ特務機関…

ガダルカナルの戦い

ガダルカナル島は、アメリカ軍にとってはラバウル攻略の足掛かりとして飛行場を確保する ために、日本軍にとっては、ポートモレスビー攻略と相俟って珊瑚海海域における有利な戦 略態勢を確立するために重要な島であり、どちらがこの島を確保しているかがじ…

樋口季一郎と北方軍・第5方面軍

大東亜戦争の末期1945年8月アメリカ軍による「広島」「長崎」への2発の原爆投下後、日ソ不可侵条約を破ってのソ連の満州、樺太侵攻。日本の指導層はなすすべも無くポツダム宣言の受諾を受け入れ 茫然自失状態でありました。1945年8月17日 日本…

占守島の戦い

米英連合国との終戦の仲介をソ連に頼んだ鈴木貫太郎内閣とそれに同意した帝国海軍に陸軍は驚いて不満を持っていたが、やはり陸軍のソ連がどういった国であるのかが的中した瞬間でした。「火事場泥棒」を国是とするソ連が、日本が敗北しようとしているのに何…

爆弾三勇士

1932年(昭和7年)の第一次上海事変において、敵の鉄条網を破壊するため3名の工兵が爆弾を持って突入して爆死したとの報道がされ、「爆弾三勇士」と呼ばれて熱狂的な反響を呼びました。遺族への多くの恤兵金が集まり、天皇からの祭粢料も賜われました。 〔上…

インパール作戦に見る大和魂

インパール作戦は、1944年3月8日に開始されました。第15軍隷下3個師団(第15、31、33師団)を主力とする日本軍が3方面からビルマから国境を越えてインドのインパール目指して急襲する作戦のことです。もともとビルマ国境を越えてインド東北…