歴史から学ぶ大和魂

歴史を紐解き、日本人の大和魂が垣間見えるエピソードをご紹介いたします。

留魂録

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留魂録』は松陰が門下生に残した遺書である。松陰は十月二十七日に処刑されたが、これはその前日の二十五日から二十六日夕刻にかけて書き上げられた物です。
「身はたとひ武蔵の野辺に朽ちぬとも留置かまし大和魂」と、大和魂を留めて七生報国すると念じた歌を巻頭においた十六節からなるもので、巻末に五首の短歌が添えられています。

薄葉の半紙五枚を四つ折りにして、十九面に細書きされている。至誠の限りを尽くして幕吏を説得する決意を持って江戸に来ながら、ついに成就しなかったのです。
こうした結果を招いたのは自分の徳の非薄さの為だとまず自責しており、ついで、評定所における対吏の模様を詳しく述べたあとで、「天下のことを成すは天下有志の士と志を通ずるに非ざれば得ず」という確信から、同囚の同志達の動静を伝えて後起の人に期待をつないでもいます。また、人生を四季に例えた人生観はいつも死を前に据えながら思索し、行動してきた人の言葉だけに強く心を打つのです。
其の筆は、事実については淡々と冷静に、そして後起の者への訴えは切々と進められており、読む者の深い感動を誘います。さて、『留魂録』は同囚の沼崎吉五郎(福島藩士、殺人の嫌疑で投獄)に託して届けてもらうことにしたのです。
沼崎はその後、三宅島に遠島となり明治になって釈放され、同九年に時の神奈川県令野村靖(和作)が長州出身と聞いてこれに『留魂録』、『諸友に語ぐる書』と遺墨数葉を手交しました。
今日『留魂録』に接することが出来るのは、ひとえに、二十年もの獄生活の間大切に持ち続けてくれた沼崎のお陰です。野村が沼崎をどのように遇したのか、その後、消息は明らかではございません。

 

大和魂から見る歴史