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歴史から学ぶ大和魂

歴史を紐解き、日本人の大和魂が垣間見えるエピソードをご紹介いたします。

インパール作戦に見る大和魂

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インパール作戦は、1944年3月8日に開始されました。第15軍隷下3個師団(第15、31、33師団)を主力とする日本軍が3方面からビルマから国境を越えてインドのインパール目指して急襲する作戦のことです。
もともとビルマ国境を越えてインド東北部に進攻しようという構想は、1942年8月ごろに南方軍が参謀本部に進言していたようですが、寺内南方軍総司令官指揮下の第18師団長・牟田口中将は北部ビルマの困難な地形を指摘して反対を表明したために参謀本部が諦めていた案だったようです。しかし、1943年1月末英軍のウィンゲート少将の一団がインドから山越えでビルマに攻め込み、日本軍の手薄な西ビルマの鉄道破壊作戦が行なわれました。1943年3月27日にビルマ方面軍が新設され、方面軍司令官に河辺正三中将が就任し、牟田口中将が第15軍司令官に昇格しますと、捕虜からそのジャングル越えの方法を聞いた牟田口中将はインパール作戦を現実味のあるものだと考えるようになって現実の作戦を立案します。そして、その作戦のことを知ったインド義勇軍を率いるチャンドラ・ボースインパールを自由政府の根拠地にしたいという要求もあって東条首相はインパール作戦の認可を与えてしまいました。制空権もなく、自分たちの持つ兵器は旧式のものばかり、そして国境のジャングルやチンドウィン川を越えての物資の補給は困難を極める。川幅約600m のチンドウィン川を渡河し、その上で標高2000m 級の山々の連なる急峻なアラカン山系のジャングル内を長距離進撃しなければならないにもかかわらず、補給が全く軽視されているために、作戦開始前からその実施にあたっての問題点が数多く指摘されていました。そんなばかげたインパール作戦を行なうよりも、ビルマ北東に侵入してきた米・支連合軍を攻撃してビルマの平穏を保ち、中国を孤立させてこの戦争の終結を考えるべきなのに、そのような理性は日本政府にはどこかに吹き飛んでいたようでした。しかし、インド独立、英国の排除、インパール作戦のコヒマなどの序盤の勝利、アラカン山系の踏破など日本軍の大和魂の偉業が成されたのです。