歴史から学ぶ大和魂

歴史を紐解き、日本人の大和魂が垣間見えるエピソードをご紹介いたします。

爆弾三勇士

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1932年(昭和7年)の第一次上海事変において、敵の鉄条網を破壊するため3名の工兵が爆弾を持って突入して爆死したとの報道がされ、「爆弾三勇士」と呼ばれて熱狂的な反響を呼びました。遺族への多くの恤兵金が集まり、天皇からの祭粢料も賜われました。

 

〔上海特電23日発〕

23日午後4時〇〇団司令部発表=22日〇〇団は独立で廟
行鎮の敵陣地を突破し友軍の戦闘を有利に導いたが、その際、自己の身体に点火
せる爆弾を結びつけ身をもって深さ4メートルにわたり鉄条網中に投じ、自己もろ共にこれを粉砕して、勇壮なる爆死を遂げ歩兵の突撃路をきり開いた三名の勇士がある。廟行鎮の防御陣地には鉄条網を頑丈に張りめぐらし、塹壕深く後にひかえて、さ
すがのわが軍もその突破に悩んでいた際、わが〇兵隊の〇兵3名は鉄条網を破壊し
て敵陣の一角を突き崩すため自ら爆死して皇軍のため、御国のために報ずべく自ら
死を志願し出たので、〇兵隊長もその悲壮なる忠心を涙ながらに『では国のため死ん
でくれ』と許したので右3人は今生の別れを隊長はじめ戦友らに告げ身体一杯に爆
弾を捲付けて帝国万歳を叫びつつ飛出して行き、鉄条網に向って飛込んで真に壮烈
なる戦死を遂げた。

三勇士の記事は1932(昭和七)年2月24日に一斉に
掲載された。『大阪朝日』は第一面に四段で、「これぞ真
の肉弾!壮烈無比の爆死、志願して爆弾を身につけ鉄
条網を破壊した三勇士」と報じた。

 各紙は「〝帝国万歳″を叫んで我身は木端微塵、3工
兵点火せる爆弾を抱き、鉄条網に躍りこむ」(『東京朝日』)
「世界比ありやこの気塊、点火爆弾を抱き鉄条網を爆破
す、廟行鎮攻撃の三勇士」(『東京日日』)「肉弾で鉄条網を撃破す、点火した爆弾を身につけ、躍進した三人の一等兵、忠烈まさに粉骨破身」(『大阪毎日』)