歴史から学ぶ大和魂

歴史を紐解き、日本人の大和魂が垣間見えるエピソードをご紹介いたします。

知行合一

知行合一
知識と行為は一体であるということ。
本当の知は実践を伴わなければならないということ。
王陽明が唱えた陽明学の学説。
朱熹しゅきの先知後行説に対したもの。

 

 明代中期の儒教思想家、王守仁(陽明・1472-1528)による「知行合一・」説 の提唱は、余りにも有名であり、「心即理」・「致良知」と並んで王守仁思想の 中核をなすテーゼとされてきた。だが、その内実となると、かって山井湧氏が 詳細に分析されたように、王守仁自身の言に徴してみても、様々な意味合いで 用いられており、なかなか一点に収敏しないのが実情である1)。本稿では、こ の古くて新しい問題を取り上げ、その様々な言明が知=良知、行=致良知を中 心とするものであることを論ずるとともに、理の認識能力としての知の当下に おける明証性の見積もりという視角から、朱子学の立場との比較において、知 行合一の必然性と構造にっいて、一っの新たな視点を提供することを試みた い○ 一.従来の知行合一に対する解釈  まず、従来王氏の「知行合一」については、どのような解釈が存在している だろうか。この問題にっいては、明治以降に限っても、専門的論文のみならず、 王守仁や陽明学に論及する概説書に至るまで、彩しい数の論及が存在してい る。それらを網羅的に探し出して検討することは極めて困難な作業なので、こ こでは戦後の専門的著作・論文を中心に、管見の限りで重要と考えられるもの について論ずることとしたい。  そこでまず日本の状況であるが、現在のところ、知行合一説の解釈において 日本で最も影響の大きいのは、荒木見悟氏の説である。荒木氏は、1963年に刊 95『言語・文化・社会」第2号 行された大著『仏教と儒教』で王守仁の知行合一・を検討され、更に近年の著作 でも、それを敷術する形で考察を加えられた2)。そこで氏は、王守仁の知行合 一とは、知行を包括する本心(良知)の立場で成立するものだとされた。つま り、人間の本心(良知)の立場においては、その抽象化された二っの側面たる 知と行は、不可分一体のものとして現れるのであり、その様相を語ったのが、 知行合一だというわけである。これは、認識・判断(知)やそれに基づいて発 動された行為(行)の上位、或いはそれらを包括したものとして心を設定し、 知行合一とは、その心のあり方が、人間に本来備わった良知そのものである状 態、即ち本心である状態において成立する事態だと見るものである。  この見方の影響は大きく、たとえば大西晴隆氏は1979年の著作『王陽明』 の中で「知行合一・とは、知と行が本来的に一・つの渾然たる心(主体)のはたら きの抽象された二側面であること」と述べられ、また上田弘毅氏も近年 (1999)の知行合一に関する専論で、「荒木見悟氏が述べられている通り、知行 合一は現象としての知行を問題にしたのではなく、知行を支えている地点とし ての心を、問題にしたのである」と述べておられる。3)  筆者は、基本的に荒木氏の視点に賛意を表するものである。つまり、知行合 一・ ニは、本心(良知)の立場において成立する事態だとみることは、荒木氏自 身も語られるように、王守仁が「知行の本体」と語る事態に一致しており、正 確な理解だと考える。ただ、本心(良知)が知と行を包括する上位の概念であ り、知と行は本心の抽象された二側面だとする点については、こうした表現は、 むしろ王氏後学の発言にみられ、王守仁自身がそうした語り方をはっきりとし ていない、という問題がある。また、本心は良知とも語られるわけだが、その 良知自身と、それから抽象された二側面たる知・行のうちの、知との関係が判 然としない憾みがある4)。  一・方、中国大陸や台湾においては、日本に比べて知行合一・の研究が盛んで、 多数の論考が持続的に発表されており、論点も多様である。大陸の研究では、 マルクス主義の拘束の強かった時期を中心に、王守仁の多岐にわたる説明の中 から、王守仁自身の意図を無視して断章取義的に資料を選び出し、知に行を吸 収する唯心主義の立場を核心とするものだとして批判を加えられることが多 96王守仁の知行合一説にっいての一解釈(馬淵昌也) かった。その上で、王守仁のいう行には、知(観念)=行だとする場合と、実 践=行だとする場合の二っがあるとして、矛盾があると見るのである5)。そし て、その唯物・唯心構図が盛行した時期を含めて、近代以降の大陸・台湾で最 も有力な解釈は、っとに凋友蘭氏が『中国哲学史』において提出された、知= 良知、行=致良知という解釈である6)。これは、多くの論著で継承された観点 であり、近年ではたとえば楊国栄氏の研究においてこの見方が中心に据えられ ている7)。  筆者は、この凋氏以来の知=良知、行=致良知とする解釈も正しいと考える。 後述の通り、王守仁自身が良知=知、致良知=行の構図で知行合一・を語ってい るからである。ただ、この観点のみではすべての知行合一を巡る言明を統合で きないのだが、従来の研究では、これと他の種類の言明との関係が十分論じら れていない8)。そして、荒木・凋両氏の観点ともに、ではなぜその立場におい て知行は「合一」でなければならないのか、その必然性と構造が十分明示され ていない。  そこで、以下においては、荒木見悟氏、凋友蘭氏の観点を正しいものとして 受け止めっっ、まず、王守仁における知行合一とは、知=良知、致良知=行を 中心とするものであることを確認するとともに、それがその他の説示とどのよ うな関係にあるかを検討し、更に知=良知、致良知=行における知行合一・の必 然性と、その構造を、より明確に規定することを試みたいと考える。 二.知行合一説の内実  上でも触れたように、山井湧氏は、かつて王守仁の知行合一・の説示について 詳しく分析を加えられ、大きく二種類、細かく分ければ四種類あるいはそれ以 上に分けられる、とされた1)。その分類は以下の通りである。  (1)知れば必ず行う一知って行わないのは知っているのではない一行って始    めて知ったことになる。  (2)知と行とは本来合致している。   (i)知と行とは同じものの両面である。 97『言語・文化・社会」第2号   (ロ)知は行の一種である。   (A)知と行とは同時におこる。  本節では、この山井氏の分析を踏まえながら、改めて筆者なりの視点から、 王守仁における知行合一の連想を考えるべきである。