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歴史から学ぶ大和魂

歴史を紐解き、日本人の大和魂が垣間見えるエピソードをご紹介いたします。

ガダルカナルの戦いの総括

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11月中旬頃までガダルカナル島の争奪をめぐり日本軍とアメリカ軍は必死の戦いを続けた。結局、アメリカ軍は、マタニカウ川西岸高地まで橋頭堡を拡大し、そしてこの橋頭堡に武器・弾薬、兵站物資等を継続して補給し、常に日本軍に勝る戦力を維持し続けた。日本軍は、アメリカ軍の橋頭堡を破壊することができず、補給の阻止もできなかったのです。これが日本軍がガダルカナル島を奪回できなかった大きな原因と言えよう。そしてこれは、今回整理した戦史の中に幾つかの問題点を見ることができます。まず言えるのは、ガダルカナル島争奪戦の場合においては、不充分ながらも橋頭堡を確立している強力な敵への対処を誤ったことにあります。
相手に橋頭堡の設定を許したガダルカナル島の場合、まず第一に行うことは、陸上における橋頭堡の拡大を阻止する地域を占領して、火力により橋頭堡を制圧するとともに、次に増援される主力のための攻勢の支とうを確保することであったのです。しかし、日本軍は、川口支隊の攻撃失敗以降は、何のために、いつ、どこに戦力を集中するのかという次の戦局の焦点をアメリカ側に先立って予測し、対処することができなかったのです。橋頭堡がまだ不十分と認識しているヴァンデグリフト少将にとって、川口支隊の攻撃を阻止した後に、最も苦痛とすることは、マタニカウ川付近からの砲兵部隊によるルンガ飛行場への有効な砲撃及びここを支援基盤としての攻撃であったのです。従って第 17 軍は第 1 海兵師団より先にこのマタニカウ川地域一帯を陸海軍一体となって占領確保する必要があったのです。しかし、第 17 軍が 9月26日にこの地域の重要性を認識した時には、既にアメリカ軍の第 7 海兵連隊等が増援された後であったのです。第 17 軍が要請した 2 回目の輸送は後手を踏んでいたのです。仮に第 17 軍が砲兵、戦車部隊等をもってマタニカウ川一帯の高地を確保していたならば、この地域で勝敗を決する陸上決戦が生起しています。
また、海軍は橋頭堡を攻撃するための戦力を確実に揚陸させる責務を果たさなかった。ウィンストン・チャーチルは、ノルマンディー上陸作戦のとき「海軍の任務は、陸軍を安全に海峡を横断せしめ、あらゆる方法をもって上陸を支援し、その後は敵と海との危険に拘わらず、増援軍と補給とが適時に着くことを確保することにあった」 と述べております。連合艦隊は、陸軍をガダルカナル島に上陸させるための輸送船団の掩護にあたり、アメリカ機動部隊の撃破と輸送船団の掩護という二つの目的を確立し、これを同時に追求しようとしました。しかし、実際には連合艦隊が主な目的としたものはアメリカ機動部隊の撃破であり、輸送船団の掩護という目的のためには聯合艦隊のあらゆる戦力を集中することはなかったのです。
結局、この二つの目的は何れも達成できなかったのです。実際に敵の勢力下にあるガダルカナル島に砲兵、戦車等の重戦力を備えた陸軍を上陸させるということ、つまり、いわゆる水陸両用作戦は、敵機動部隊の撃破という目的の片手間で済むような生易しいものではなかったのであります。日本軍が次に行うべきことは、本来は速やかに行うのが望ましいのであるが、ガダルカナル島の孤立化、つまり制海権の確保である。南太平洋海戦は、邀撃態勢を取っていた連合艦隊が待ち望んでいた形での海戦でもありました。しかし、優勢な戦力を有していた日本の機動部隊は、劣勢だったアメリカ機動部隊を捕捉撃滅できず制海権を得るチャンスを逃したのです。それはガダルカナル島争奪戦の場合、日本とアメリカの指揮官のリーダーシップの差に起因するところが大きいと考察いたします。ニミッツ大将は、悲観的なゴームレー中将を更迭し、ハルゼー中将を登用した。ハルゼー中将は、積極的攻勢をもって南太平洋海戦において戦力上優勢な日本機動部隊を機能喪失に陥れ、第 3 次ソロモン海戦では主力戦艦を喪失させ、制海権をアメリカ軍のものとしました。一方、日本の聯合艦隊司令長官山本大将は、ミッドウェー海戦以来の問題を不問にして南雲中将にチャンスを与え続けました。しかし、南雲中将は、全力を尽くしつつも、アメリカ軍航空機を恐れ、自ら一歩踏み込むことをためらい、小成に安じたのです。結局、ガダルカナル島の争奪戦の場合、受動的に敵の攻撃を待ち受けるという連合艦隊のとった邀撃作戦では制海権は得られなかったのです。よって、アメリカ軍の勢力圏内で往復する増援の輸送船団に対しては、潜水艦もしくは航空機で対処するしかないのである。
ニミッツ大将が後で語ったように、日本の連合艦隊には、アメリカ艦隊を珊瑚海に探し求め、これを撃滅することによってガダルカナル島を孤立化させ、制海権と制空権を自らのものにしようとする 強い意志と実行力が必要であった。ガダルカナル島のような彼我戦力伯仲する中で、かつ、一方が先に占領した島嶼の争奪戦においては、
橋頭堡をめぐる陸上及び島の孤立化をめぐる海上での攻防におけるそれぞれの戦局の焦点にいかに敵に勝る戦力を集中したか、つまり、いわゆる水陸両用作戦を成功させたかどうかが死命を制したのである。そして根本的に東部ニューギニアも含めた戦域全体でみると、日本軍はガダルカナル島奪回を企図した時から東部ニューギニア正面との二正面作戦を強いられており、既に戦力が分散していた。第 17 軍司令部が 10 月 9 日までガダルカナル島に進出できなかったのは、東部ニューギニアポートモレスビー攻略作戦に忙殺されていたためであり、第 3 次船団輸送が失敗に終わった 11月中旬以降は、マッカーサー軍の攻勢により東部ニューギニアの南海支隊がブナ附近まで圧迫され、既にラバウルガダルカナルの補給線は危機に瀕し、日本軍の重点は逐次、東部ニューギニアに移行していたのであります。