辻政信とガダルカナルの戦い
ガダルカナル島の戦いでも実情を無視した攻撃を強行した作戦参謀。
辻の責任であるとする説によると、ガダルカナル島での作戦の過程では現地指揮官の川口清健少将と対立し、参謀本部作戦参謀の立場を利用して川口少将を罷免させた。辻が攻撃しようとしていた場所は、既に川口が一度総攻撃を行った場所であって、再度の総攻撃でも失敗する確率はきわめて高いと思われました。しかも、総攻撃の日時は、海軍の都合と一致させるために、戦闘準備には無理が生じ、ジャングルの中を通る急峻な道路によって大砲などもほとんど輸送できず、結局小銃での攻撃に頼るのみであった。この条件では作戦の失敗も当然であるが、戦後辻はこの作戦の失敗を川口になすりつけ、自著『ガダルカナル』で「K少将」と川口の名を伏せ、専ら自分に都合が良いように描写しました。
※辻 政信(つじ まさのぶ、1902年10月11日 - 1961年に行方不明)は、日本の陸軍軍人、政治家。
ノモンハン事件、太平洋戦争中のマレー作戦、ポートモレスビー作戦、ガダルカナル島の戦いなどを参謀として指導し、「作戦の神様」と讃えられた。その一方、シンガポール華僑虐殺事件、バターン死の行進などの戦争犯罪への関与も指摘されている。軍人としての最終階級は陸軍大佐。
敗戦後は数年間を国内外で潜伏したのち、戦記を発表しベストセラーとなった。政治家に転身し衆議院議員(4期)、参議院議員(1期)を歴任した。参議院議員在任中の1961年4月に視察先のラオスで行方不明となり、1968年7月20日に死亡宣告がなされた。