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歴史から学ぶ大和魂

歴史を紐解き、日本人の大和魂が垣間見えるエピソードをご紹介いたします。

藤田東湖と水戸学

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水戸藩の学者藤田幽谷の二男として生まれ,父は青藍舎という塾を開いており、
幼いころから学問に興味を持ちながら成長。14歳の時,父に従って江戸の地を踏むと武道にもめざめ、神道無念流の岡田十松に入門しました。19歳の時,イギリスの捕鯨船員12人が大津港に上陸し、父の命により、船員を斬るため自らの死を覚悟しながら現地に急行したが、捕鯨船は沖合に去ってしまいました。
東湖は20歳を過ぎたころから「学問をおろそかにしては、武道も役に立たない」と考え、自分の生き方を反省します。
その後水戸藩第9代藩主徳川斉昭の政治を支え、軍備の拡充や藩校弘道館の建設に取り組みます。
ところが、弘化元年 (1844) 斉昭が改革政治の行き過ぎを幕府から咎められ、謹慎処分を受け、東湖も蟄居となってしまいます。
このころ日本のあり方を思い外国に左右されない国づくりを考え、書かれたのが「回天詩史」,「常陸帯」,「弘道館記述義」といった著作です。
嘉永5年罪を許された東湖は、翌6年ペリーの来航による海防問題の処理や、側用人の要職に就き多忙な日々を送っていました。
吉田松陰西郷隆盛など全国から多くの学者や志士たちが教えを受けに訪れるようになったのです。しかし、安政2年に江戸を襲った大地震により、藩邸にて母を助けようと犠牲になりました。