歴史から学ぶ大和魂

歴史を紐解き、日本人の大和魂が垣間見えるエピソードをご紹介いたします。

桜田門外の変

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万延元年(1860)三月三日、江戸城に入ろうとした大老井伊直弼の一行が、桜田門のあたりで待ち伏せていた水戸・薩摩の浪士に襲われて、
井伊大老の首が切られた事件があった。世に言う「桜田門外の変」であります。

この事件が起きるまでの経緯を簡単に復習しておきましょう。
安政5年(1858)4月に大老職に就いた彦根藩主・井伊直弼は、幕府の権威を復活させようとし、勅許をえないまま6月に日米修好通商条約に調印し、
また、子供のいない十三代将軍家定の後継者問題については、譜代大名らの支持を得て、幼年の紀伊藩主である徳川慶福(よしとみ)を跡継ぎと定め、
水戸藩徳川斉昭の子の一橋(徳川)慶喜を推していた斉昭や、福井藩主松平慶永薩摩藩島津斉彬らの改革派に大弾圧を加えました。
弾圧の対象は皇族・公卿・諸大名・藩士など百人を超え、徳川斉昭松平慶永は蟄居処分となり、尊王攘夷派の活動家・思想家を徹底して粛清し、
福井藩士橋本左内長州藩吉田松陰たちは刑死しました。
このような井伊の弾圧的な処置は朝野の有志の強い反発を招き反幕的な空気を強めて、万延元年(1860)には、ついに「桜田門外の変」が起こり、
井伊直弼は命を奪われ、幕府の威信が失墜したという流れです。