歴史から学ぶ大和魂

歴史を紐解き、日本人の大和魂が垣間見えるエピソードをご紹介いたします。

尊王攘夷運動

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国家存在の根拠としての尊王思想と侵掠者に対抗する攘夷思想が結びついたものである。「王を尊び、夷を攘う」の意味となり、古代中国の春秋時代において、周王朝の天子を尊び、領内へ侵入する夷狄を打ち払うという意味です。
覇者が用いた標語を日本の国学者が輸入して流用したものであります。尊王論は、幕末に台頭した「攘夷論」、すなわち外国を排撃する思想と結び付いて、
尊王攘夷運動」と呼ばれ、天皇の権威の絶対化と鎖国の維持を主張する政治運動の思想的な支柱となりました。

幕末期における「尊王攘夷」という言葉が用いられたのは、水戸藩の藩校弘道館の教育理念を示した徳川斉昭弘道館記によるものがもっとも早く、少なくとも幕末に流布した「尊王攘夷」の出典はここに求められ、弘道館記の実質的な起草者は、藤田東湖であり、「弘道館記述義」によって弘道館記の解説がなされております。幕末尊王攘夷論は、水戸学による影響が大きいのです。

1858年、孝明天皇の許可を得ず日米修好通商条約を結んだ幕府への批判が高まり、天皇を尊ぶ尊王論と外国勢力を追い払う攘夷論が結び付き、活発な尊王攘夷運動へと展開していきます。開国に反対し、井伊直弼と対立していた水戸藩徳川斉昭らは謹慎処分となりました。