歴史から学ぶ大和魂

歴史を紐解き、日本人の大和魂が垣間見えるエピソードをご紹介いたします。

武田耕雲斎と天狗党の乱

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幕末尊攘派水戸藩士の跡部正続の長子として生まれ、本家を継いだのち跡部の旧姓武田を名乗ります。名は正生(まさなり)で耕雲斎は号となります。9代藩主徳川斉昭の藩政改革の尽力した改革派の重臣です。元治元年3月、藤田小四郎らが筑波山の挙兵したときには時期尚早とこれを諫めたが、10月の那珂湊の戦いから小四郎らと行動をともにし、11月、天狗党千人余の総大将として京都へ向かい尊攘の素志を朝廷に訴えようとしました。しかし、その途中越前新保で加賀藩の軍門に降り、翌慶応元年2月、小四郎らとともに敦賀の海岸で353人が斬首されました。捕まった武田耕雲斎等823名は舟町のニシン蔵16棟に収容されました。環境は劣悪で、雪国である敦賀の真冬に、彼らは裸同然の姿でむしろが少しあるだけの蔵に押し込められ、ニシンの腐臭と便桶の異臭が漂う中、異臭と寒さで亡くなったものも少なくなかったといわれています。