歴史から学ぶ大和魂

歴史を紐解き、日本人の大和魂が垣間見えるエピソードをご紹介いたします。

徳川斉昭と偕楽園

 

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徳川斉昭偕楽園

幕末の水戸藩主・勤王家。烈公とも呼ばれており、徹底した尊王でありました。
まさに大和魂を体現し、その思想を水戸から広める重要な人物だとおもいます。
徳川斉昭は改革派の人材を登用し、自分の擁立に功があった下士層から藤田東湖、武田耕雲斎らの人材を多く登用しております。藩政改革には西洋式軍備を取り入れ、経世済民を重視して藩財政基盤の再建を勧めました、藩の学校である弘道館を興して、藩の知識、武道を養成します。
ペリー来航のあとに幕府に海防参与として推挙され就任いたしますが尊王攘夷派としての信念を貫き、井伊直弼と対立いたします。そのため安政の大獄では水戸に永久蟄居されてしまいます。その後、復帰することなく万延元年で61才で心筋梗塞で急逝いたしました。

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偕楽園徳川斉昭によって造られ,1842年に開園しました。弘道館ではたくさん勉強をし勉強でつかれた心をいやすための場所として偕楽園を造ったのです。偕楽園には「ひとびととともに楽しむ園」という意味があります。このような斉昭の考えは「偕楽園記」という石碑にきざまれて残っています。偕楽園は3000本もの梅の木が植えられ、四季おりおりの自然が楽しめます。千波湖や桜山を背景にしたスケールの大きな景色が美しい公園です。公園の中にある好文亭は斉昭が設計した茶の湯などの行事に使う工夫がいっぱいの建物です。偕楽園では梅まつりや萩まつりなどの様々な行事が行われたくさんの人がおとずれるいこいの場所になっています。