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歴史から学ぶ大和魂

歴史を紐解き、日本人の大和魂が垣間見えるエピソードをご紹介いたします。

七生報国と広瀬武夫

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湊川の戦いで正成軍は、1336年5月僅かな手勢を率いて蓮池で16回をも攻撃を行い、10倍以上の軍勢を須磨まで押し戻しました。そして尊氏の本陣にも攻め込んだのです。しかし、尊氏軍の前にあえなく全滅し、一族郎党とともに自刃して果てるが、このときに正成が、弟の正季ら一族郎党と誓い合った言葉と伝えられているのが[七生報国]であります。最期をさとった正成は、弟正季に何か願いはあるかと問いかけると、正季が「七生まで人間に生れて朝敵を滅ぼしたい」と答えので、正成も「いつかこの本懐を達せん」と誓ったのち、兄弟刺しちがえて自刃したといわれております。天皇に報いるという意味から「七度生き延びて国に報いよ」と解釈されたことから、大東亜戦争期は「忠君愛国」「滅私奉公」とともに修身教育に使われ、「七生報国」は武運長久に肖りスローガンとしても多用されました。日露戦争の英雄、広瀬武夫は戦死後、軍神と呼ばれるようになりました。 戦死する最後の作戦の前に広瀬本人が七生報国の詩を作成し決意を示しました。