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歴史から学ぶ大和魂

歴史を紐解き、日本人の大和魂が垣間見えるエピソードをご紹介いたします。

乃木希典の武士道

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日露戦争における乃木希典の武士道精神と真の大和魂を感じさせるエピソードをご紹介いたします。日露戦争が終わって乃木大将は世界から絶賛されました。乃木大将はその人柄が誠実であること、清廉、質素、勇敢、などが他にくらべ特質しており、同じ長州人である児玉源太郎大将に、詩人乃木といわせる程に文学的素養の高い方でありました。また、乃木は夫婦、親子、兄弟、家族、及び君主との絆の重要性を強調した、山鹿流の武士道観に学んだ吉田松陰の影響を強く受け継いでいました。同じ長州で薫陶をうけた、吉田松陰の人間的優しさが乃木の人柄に強い刻印を与えたといわれております。乃木自身は 2 人の男子を設けましたが、2 人共に日露戦争で戦死しております。ご本人にとってロシア軍は大事な我が子をも殺した憎むべき相手であります。12月5日、203高地を占領し、ロシア旅順艦隊を壊滅させた翌年の1月、敵将ステッセル水師営で会見が行われました。この時世界中から、多くの報道関係者が集まり、この会見を取材しようとしました。乃木将軍はこの取材に対し、敵将ステッセルに恥をかかせてはならないといって一斉の取材を断わりました。写真だけでもとらせてくれと言った報道陣に対し、それでは仕方がないと言って、ステッセル幕僚に帯剣をさせ、対等意識のもとに写真をとらせました。この「水師営の会見」はやがて小学校の唱歌として「昨日の敵は今日の友」という歌い出しではじまり、長く日本国民の記憶に留めたのです。ステッセルはその後ロシアに帰りますが、ロシア皇帝は敗軍の将となったステッセルに銃殺刑を言いわたしました。これを聞いた乃木将軍は敵将の勇敢を称え、ニコライ皇帝に敵将ながら勇敢に戦ったことを記した助命嘆願の手紙を出しました。その結果、ステッセルは、死を免れてシベリアへの流刑に減刑されました。さらに乃木大将は銃殺刑を免れた敵将ステッセルの家族に対し、ロシア政府は極めて冷遇している中で、この家族へ、明治天皇崩御と同時に自らが自決するその時まで、
生活費を送り続けました。日本史上、このような寛大以上の振る舞いは乃木大将や日本人以外に考えられないことだと思います。