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歴史から学ぶ大和魂

歴史を紐解き、日本人の大和魂が垣間見えるエピソードをご紹介いたします。

不平等条約改正と黄禍論

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ペリ-が1853年浦賀沖に来航して、200 年余りに及ぶ長い鎖国に終止符を打ち、欧米諸列強と国交を開始することになりました。1854年の日米和親条約に続いて、1858年に日米修好通商条約を締結した日本は、同じ年にオランダ、ロシア、イギリス、フランス各国と矢継ぎ早に修好通商条約を結んだのです。そしてそのいずれの条約においても日本は締約相手国と対等に遇されず、そうした不平等条約の改正を勝ちとるため、文字どおり死に物狂いの苦闘を半世紀余りも強いられることになったのです。欧米諸国では1870 年頃からダーウィンの進化論を人間社会にも適用した社会ダーウィニズムの思想が提唱され、人々の間に広まっていました。自然淘汰、適者生存の考えが人間社会にも適用され、優秀な人種である白人が生き残り、劣等な人種である有色人種が淘汰されるとする社会進化論が、欧米の人々の間に広く浸透していったのです。そしてそれは黄色人種が世界に禍をもたらすであろうとする黄禍論の素地となり、アジア人蔑視に加えて、アジア人への警戒心を高めていったのです。この黄禍論の最初の提唱者はドイツ皇帝ウィルヘルム2世で、彼はロシア皇帝ニコライ2世にその思想を伝え、その後黄禍論が世界に広まっていったとされております。こうして白人優越の思想が広く世界に浸透する中、日本は独立を守り、欧米諸国と対等な関係を樹立するため性急にヨーロッパ文明をとり入れて近代化を推進し、文明開化、殖産興業、富国強兵をスローガンに、国力の増強に励んだのでありました。大和魂尊王攘夷をするためにまず開国して西洋列強の技術を取り入れ国体を護持するために軍備を増強して2つの戦争を勝利し、不平等条約改正まで日本の先祖たちは努力していったのです。不平等条約の改正に向けて不退転の決意で欧米諸列強に対峙した明治政府は、他方で新たに国交を樹立する国々に対して平等条約の締結を強く求め、粘り強い交渉を続けました。1888 年には日本にとって最初の平等条約となった日墨修好通商条約の締結にこぎつけ、その後ペルー、ブラジル、チリなどの国々とあい次いで平等条約を締結し、続いて 1898 年にはアルゼンチンとも対等な修好通商航海条約をとり結んだのです。こうしてラテンアメリカ諸国との平等条約の締結が進む中、困難をきわめた欧米諸国との条約改正交渉にもようやく進展がみられるようになりました。その結果 1894 年にはアメリカ、イギリスと通商航海条約を締結して日本は法権を回復し、また 1911 年には日米新通商航海条約を締結して関税自主権を獲得した。そしてその他の西欧諸国とも、時期をあい前後して条約改正を達成したのであります。このような条約改正の実現は、文化、経済、政治、軍事と多方面にわたってヨーロッパに学び、近代化を推進してきた明治政府の政策に負うところが大きく、とりわけ日清、日露戦争における日本の勝利が重要な牽引車となったのです。ようするにこの二つの戦争が当時の日本認識に決定的な影響を及ぼし、そのことがメキシコに次ぐ他のラテンアメリカ諸国との平等条約の締結と欧米諸列強との条約改正にはずみをつけることになったのであります。