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歴史から学ぶ大和魂

歴史を紐解き、日本人の大和魂が垣間見えるエピソードをご紹介いたします。

葉隠と武士道

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享保元年1716年に完成した葉隠は、鍋島武士団を形成する精神的要素の一つとして影響力を持ち、佐賀藩が貫いたこの葉隠精神は、朱子学を中心とする藩校教育と並立する存在でありました。しかし、江戸後期において、葉隠の中に表れる武士精神が、天明元年1781年に設立された藩校―弘道館の教育理念と一致していなかったことは、当時の藩校教官であった古賀穀堂が藩主に上呈した「学政管見」と「済急封事」によって明らかであります。このような葉隠的武士精神と藩校教育との葛藤については、教育史や藩校史の研究において論じられてきました。しかしながら、佐賀藩士の言行に葉隠精神と藩校教育がいかに反映しているのかについては、これまで詳しく論じられることがなかったのです。そのため、本稿は先行研究を踏まえながら、この両者が葉隠の愛読者の一人でもあった佐賀藩士、江藤新平尊王活動において、どのような影響を与えたのかを中心に考察いたします。なお、江藤新平に関しては、主に彼が明治期における司法制度の確立に果たした役割が検討されてきたが、幕末期における彼の思想形成は明治期の活動の基礎となったという点で、より詳細な検討に値します。とりわけ葉隠が江藤に与えた影響を分析することにより、幕末期の彼の思想の輪郭はより鮮明なものとなるでしょう。葉隠について葉隠は山本常朝が三十三年間にわたる主君への奉公、佐賀藩士としての心得及び佐賀藩の出来事などを七年間にわたって同藩の田代陣基に語り、それを田代が筆録し編集したものである。十一巻から成る葉隠は、最初の聞書一と二が武士の本分に関する教訓であり、残りの第三から第十一が佐賀藩内、または他藩で生じた事件や、藩主の談話等の内容である。全巻を貫通する精神は全て序文の「四誓願」の部分に表れております。「四誓願」は、「於武道おくれ取申間敷事」、「主君の御用に可立事」、「親に孝行可仕事」、及び「大慈悲をおこし、人の為に可成候事」という四条で成り立っている。この四条は武士として常に心掛けなければならないことであると山本は考えています。ところで、『葉隠』が成立したのは、「忠節の事。一番乗・一番鎗幾たびよりも、主君の御心入を直し、御国家を固め申すが、大忠節也。れているように、戦場で主君のために命を捨てることから畳の上で奉公する環境に変わった時代であります。鎌倉時代や戦国時代のような「論功行賞」とは異なり、封建制度が凡そ整えられた当時において、武士は所与の家職に就くことが本分であっりました。また、かつて戦場において主のために命を捨てることを惜しまないという主君を中心とする忠義精神は、この時代になると、その対象が「主君」から「御国家」にまで拡大し、新たな「奉公の道」が形成されていきました。そこで本稿は、「四誓願」の中の一条である「主君の御用に可立事」と「御国家」を中心に武士の奉公について検討したい。