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歴史から学ぶ大和魂

歴史を紐解き、日本人の大和魂が垣間見えるエピソードをご紹介いたします。

ペリリュー島の戦いと大和魂

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この小さな島でくりひろげられた戦闘は、これまでの島にまさる壮絶さだったのです。オレンジ・ビーチ、この海岸は1944年9月15日に始まった米軍のペリリュー島への最初の上陸地点でした。米軍は、既に制空制海権を抑えており、その上陸前に相当の爆撃をこの島全土に行っていきました。その数わずか1日で6万発におよび、この時の米軍指揮官はこの島は 4 日で落とせると豪語していたのです。【日本兵玉砕までの日数・サイパン31,000人23 日・テニアン5,000 人7日・グアム18,000人20 日】という短さでありました。そしてこのペリリューには、10,000 人余りの日本兵が守っていたのです。ペリリュー島攻略に当たり、米軍は空母11隻、戦艦3隻などからなる大機動部隊を繰り出しました。上陸作戦以前の米軍の徹底的な艦砲と爆弾によって、島の光景はすっかり変わり、真っ白い石灰石が露出した裸の島になってしまっていたらしいです。そして米軍海兵隊は、日本軍陣地はもう完全に破壊され、敗残兵狩りのみと感じていたというのです。他の島でもそうだったように、日本軍は徹底した水際作戦を行いました。つまり米軍が上陸寸前の海岸で迎え撃ち、至近距離から叩こうというものであります。特にこの海岸からの上陸を日本軍は予想しており、機雷や地雷の敷設をすると共に、米軍をかなりひきつけておいて一斉射撃するという作戦を立てていたのです。そして、その作戦は見事に当たるのである。この島は、今までの島とは違う事があった。高地の斜面には数多くの洞窟陣地があり、上陸に先駆けた米軍の膨大な艦砲と爆弾を見事にかわし、米軍の予想とは裏腹に、戦力はほとんど維持されていたのだったのです。その後、激戦は続き玉砕をしたのです。国のために尊い命を捧げて、命に代えてパラオペリリュー島民を守り抜いた日本兵。現在でもパラオの長老たちは日本のことを「内地」と呼び、世界で最も親日感情が高い国、といっても過言ではないのです。戦後69年が経ち、日本人が知らなければならない大東亜戦争の真実です。