歴史から学ぶ大和魂

歴史を紐解き、日本人の大和魂が垣間見えるエピソードをご紹介いたします。

勤王商人・古高俊太郎と福寿院

滋賀の福寿院には、幕末の志士・古高俊太郎の大きな顕彰碑がございます。池田屋事件(1864)にかかわったことで有名な古高俊太郎は、福寿院の住所でもわかるとおり(滋賀県守山市古高町158)古くから地元の名族名士の古高一族の出身で、激動する時代の中、尊皇攘夷の理想を掲げていたことで知られます。尊皇攘夷を唱える梅田雲浜に弟子入りした俊太郎はその後、諸藩と取引のあるほどの大店・桝屋の主人になり、尊王攘夷運動の理想実現のために尽力しました。古道具、馬具を扱いながら早くから宮部鼎蔵らと交流し、有栖川宮との間をつなぐなど長州間者の大元締として情報活動と武器調達にあたりました。その後、新撰組に捕らえられ、志半ばにして獄舎で拷問ののち、7月20日(8月21日)の禁門の変の際に生じたどんどん焼けで、火災に乗じて逃亡することを恐れた役人により、判決が出ていない状態のまま他の囚人とともに斬首された。地元の福寿院では大正時代に、その志とひととなりを称える顕彰碑が建てられました。寺院裏の古高一族の墓所には、俊太郎の墓もあります。

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