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歴史から学ぶ大和魂

歴史を紐解き、日本人の大和魂が垣間見えるエピソードをご紹介いたします。

ラエ・サラモアの戦い

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ラエ・サラモアの戦いは、太平洋戦争(大東亜戦争)中のニューギニア戦線における戦闘の1つです。ニューギニア島東部の要地ラエとサラモアを占領していた日本軍を、オーストラリア軍を主体とする連合軍が攻撃し、ラエとサラモアを奪還しました。日本軍は標高4,100メートルのサラワケット山系を越えて撤退しました。

 

背景:ニューギニア島のソロモン海側、マーカム川河口に面する小都市ラエと、その南方50キロに位置するサラモアは、日本軍の基地ラバウルと連合軍の基地ポートモレスビーとの中間に位置し、飛行場と港湾の適地で共に連合軍の飛行場があった。日本軍はポートモレスビー攻略を視野に入れて前進航空基地の設営を計画し、1942年3月8日にサラモアに陸軍南海支隊、ラエに海軍陸戦隊が上陸した。どちらも連合軍はすでに撤退していたため、抵抗を受けることなく占領が行われた。しかし連合軍は3月10日、空母「ヨークタウン」「レキシントン」を基幹とする空母機動部隊をもってラエとサラモアの日本軍を空襲したため、付近にいた艦船は4隻が沈没、9隻が損傷した。さらに、サラモア南西方60キロにある山間部の鉱山町ワウへ、オーストラリア軍独立1個中隊および志願兵中隊を基幹とする「カンガ・フォース」を空輸した。カンガ・フォースは日本軍のポートモレスビー作戦の間、サラモア方面へゲリラ的な攻撃を仕掛けていた。1943年1月、ポートモレスビー攻略作戦での日本軍の拠点のブナ、ゴナが連合軍の手に落ちると、日本軍では連合軍の次の攻撃目標をラエ・サラモア地区と予測し、ガダルカナル島の戦いへの投入が予定されてラバウルに集結していた第51師団を第18軍に編入して、横滑りでラエ・サラモア地区へ輸送することに決定した。ラエ・サラモアの防衛のためにはまずワウの確保が必要と判断された。ワウは小規模ながら飛行場を有し、カンガ・フォースが基地として利用するとともに、連合軍のラエ・サラモア方面への攻勢拠点となりうる可能性があったためである。一方連合軍はソロモン諸島方面及び東部ニューギニア方面における本格的反攻に転じようとしていた。3月28日に発令されたカートホイール作戦は、ダンピール海峡の突破とラバウルの孤立化を最終目標とするもので、東部ニューギニア方面においてはラエとサラモアを最初の攻略目標としていた。この方面での連合軍部隊の主力にはオーストラリア軍第1軍団を基幹とするニューギニア・フォースがあてられた。