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歴史から学ぶ大和魂

歴史を紐解き、日本人の大和魂が垣間見えるエピソードをご紹介いたします。

弘道館

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水戸学の思想と教育、天保三年、九代水戸藩主・徳川斉昭のすすめた天保の改革のなかでも目玉の事業であった弘道館が誕生し学校」の出現でありました。明倫堂が一万七八〇〇坪、幕府の学校・昌平贅にしても一万一六〇〇坪でしかない。「三千載(年)未だで嘗てこれ有ざるた。水戸城に隣接する三の丸、五万四〇〇〇坪の地に水戸藩の藩校が建設されたのである。それまで最大であった金沢の中心となる建物は講堂や大試験場としてつかわれた正庁と藩主の控室や藩主の子息たちの学習室があった至善堂。そして、正庁と調練場の間には孔子廟鹿島神社が建てられていた。などからなる武館、それに医学館、天文方などがならぶ。文館・武館の西、校地の約三分の一は、武術の調練場に当てら北側には、句読寮、講習寮、居学寮、寄宿寮などからなる文館がたち、南側には、武道対試場、撃剣館、槍術館、柔術館規模だけでない、明確な教育目標をもって設立されたところに弘道館の独自さがあった。それを記したのが『弘道館記』で作成したもので、水戸学の思想と教育の根幹的理念となるものであった。それは三メートルを超す石碑に刻まれ鹿島神儒一致、学問事業一致を基本とせねぼらないとした。