歴史から学ぶ大和魂

歴史を紐解き、日本人の大和魂が垣間見えるエピソードをご紹介いたします。

2015-01-01から1ヶ月間の記事一覧

薩摩示現流 VS 警視抜刀隊

西南戦争の田原坂の攻防戦において、西郷軍による示現流の使い手斬り込み攻撃により、武士以外で構成された政府軍では恐怖心が蔓延し死傷者が続出しました。士族中心だった西郷軍との白兵戦に対応が難しかったと言わわれている。こうした状況下による事態を…

西南戦争の旧会津藩士

西南戦争ではエピソードに事欠きません。 挙兵した薩摩軍に対して戊辰戦争で賊軍とされた旧会津藩士など旧幕府出身者が多く志願したといわれることが多いです。その中の代表的な方のご紹介です。 【佐川官兵衛】当時は麴町警察署長。豊後口警視隊副指揮長と…

清正公に見る西南の役

田原坂は言わずとしれた西南戦争の激戦地様々な大和魂を揺さぶるエピソードがございます。 話は、関ヶ原の合戦にまで遡ります。関ヶ原の合戦で勝ったのは、ご存じの通り東軍の徳川家康。このとき、西軍に薩摩の島津軍がいたこともご存じの通りです。 島津軍…

西南戦争と自由民権

西南戦争最大の激戦地は田原坂ですが、国指定史跡が一番多く残されているのは実は玉東町であり、それ以外にも玉名市、山鹿市、南関町など熊本県北地域の各地に西南戦争の爪跡が残されています。南関町には官軍側の総督有栖川宮熾仁親王の本営が置かれた正勝…

インパール作戦に見る大和魂

インパール作戦は、1944年3月8日に開始されました。第15軍隷下3個師団(第15、31、33師団)を主力とする日本軍が3方面からビルマから国境を越えてインドのインパール目指して急襲する作戦のことです。もともとビルマ国境を越えてインド東北…

七生説

「七生まで只同じ人間に生れて、朝敵を滅さばやとこそ存候ヘ」(太平記より) (丙辰幽室文稿)安政三年四月十五日(一八五六)二十七歳 天の茫々ぼうぼうたる、一理いちりありて存そんし、父子祖孫そそんの綿々めんめんたる、一気ありて属つづく。人の生うま…

留魂録

『留魂録』は松陰が門下生に残した遺書である。松陰は十月二十七日に処刑されたが、これはその前日の二十五日から二十六日夕刻にかけて書き上げられた物です。「身はたとひ武蔵の野辺に朽ちぬとも留置かまし大和魂」と、大和魂を留めて七生報国すると念じた歌…

会社組織から見る大和魂

かつて日本は江戸時代に鎖国政策をとったことは教科書に書いてありますのでご存知の方が多いと思います。西欧列強のアジア侵略の激化の前に、日本は鎖国によっていわゆるモンロー主義で日本だけでの繁栄を目指しました。日本は、世界にも稀な純粋な農耕民族…

吉田松陰先生の名言録

吉田松陰先生はいくつかの「名語録」とでも云うべき、印象的なことばをのこしております。今日は私の好きな「15の語録」を書きだしてみました。松陰先生の学問は「誠」に象徴されるごとく心を打つものが多いです。「志」にちなむことばが印象的です。親に対…

士規七則

成人男子に送りたい、日本男子のあるべきすがた規範です。「士規七則」は安政二年一月、野山獄に投獄されていた松陰先生が従兄弟にあたる玉木彦助の十五歳の元服式に贈った武士の心得七か条を書いたものです。1経書から始まる人間修養のための読書、2皇国…

新渡戸稲造 「武士道」

欧米に紹介された時、日本人の気質、日本人の価値観、日本人の団結力、日本人の優秀性を一躍知らしめる上で大成果を上げた著書が新渡戸稲造の「武士道」です。以下に新渡戸稲造の著書「武士道」について要約掲載します。 「武士道はその表徴たる桜花と同じく…

大和心

国学の大成者にして、近世最大の思想家である本居宣長 大和心(やまとごころ)とは本居宣長が日本とは何かと探究したひとつの答えかもしれません。大和魂とは同義語。 言霊にまた違った、風合いがあるように感じます。 「敷島のやまとごころを人とはば朝日に…

大和魂の発揮とは

「大和魂の発揮=日本人特有の思考と行動の発現」 「大和魂の発露=日本人特有の思考と行動の表れ」 「大和魂の意味=日本人特有の思考と行動の本意」 初めまして有狂と申します。私は歴史好きで、いろいろな歴史書を読んでおります。特に戦争ものなどを見る…