薩摩示現流 VS 警視抜刀隊
西南戦争の田原坂の攻防戦において、西郷軍による示現流の使い手斬り込み攻撃により、武士以外で構成された政府軍では恐怖心が蔓延し死傷者が続出しました。士族中心だった西郷軍との白兵戦に対応が難しかったと言わわれている。こうした状況下による事態を打開すべく、主に陸軍の後方支援をしていた警視隊の川畑種長大警部、上田良貞大警部、園田安賢中警部、永谷常修中警部らが、征討参軍の山縣有朋陸軍中将に対し、警視隊から剣術に秀でた者を選抜して投入することを申し出ました。山縣はこれを許し、警視隊から百余名をもって警視抜刀隊が編成された。警視抜刀隊には戊辰戦争で賊軍とされた旧会津藩士など旧幕府出身者が多く志願したといわれております。