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歴史から学ぶ大和魂

歴史を紐解き、日本人の大和魂が垣間見えるエピソードをご紹介いたします。

桂小五郎(木戸孝允)と池田屋事件

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池田屋事件では池田屋へ一番早く行ったが、まだ同志が集まっていなかった為、近くの対馬藩邸へ行っており、小五郎は運良く難を逃れたと言われております。新選組池田屋を襲撃したのは、対馬藩邸に行っている間に起こったのです。池田屋事件の発端となった過激派浪士の企てですが、そもそも桂小五郎は過激な計画には反対の立場であったといわれています。池田屋の集会へは自分自身が出席せず、何名かの腹心を派遣したと言われています。特に桂が心配したのは、古高の自白により長州藩有栖川宮との関係や、長州藩が関係する人々に累が及ぶ事ではなかったと推測されます。 『木戸孝允文書』に書かれた池田屋の事を述べている部分では、どこか後ろめたさがあり、明快に述べてはいません。木戸の他にも同夜、池田屋に居て運良く逃げ延び、明治になってから政府の高官になった幾人かもこの事件の話になると口が重かったといいます。多くの同志を失い、逃げたことは別として、助かったことが負い目になっているのかもわかりませんが、取り合えず木戸は自分の代わりとして派遣した人物が殺害されたことも原因して、言葉を濁し、池田屋へも一度は尋ねたと文章には書いているのではないでしょうか。池田屋事件は、八月十八日の政変以来、挙兵を訴えていた長州藩の急進派を刺激する結果となり、禁門の変における武力上洛を引き起こしたが、惨敗しました。小五郎はその後も京に潜伏し情報収集に努めるが、同志からの依頼で帰郷いたします。