歴史から学ぶ大和魂

歴史を紐解き、日本人の大和魂が垣間見えるエピソードをご紹介いたします。

日露戦争と高橋是清

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当時の日本は武器や軍艦、燃料に至るまで輸入に頼らざるを得ず、そのためには金本位制が維持され、正貨である金で支払いができることが前提でありました。
日本の3倍の国力をもち、ヨーロッパで列強として君臨していた帝政ロシアの南下政策に対して、日本は果敢に挑戦したが、その戦費を支える財源も金準備も極めて貧しかったのです。そこで、日本政府の特命を受けて高橋是清と同行秘書の深井がロンドンに派遣され、資金調達の道を探り、成功させたのです。新興国日本が、国際金融市場の中心地ロンドンで、明治初期には相当高い金利で、しかも短期で少額の起債しかできなかった状況から、鴨緑江の戦いでの日本軍の勝利、旅順要塞陥落、ロシアにおける血の日曜日事件日本海海戦の勝利などを経て、日露公債利回りのスプレッドが徐々に消滅していき、第5回目のポンド建て起債では、クーポンレート4%、担保不要、償還期限25年という条件にまで改善し、国際金融市場で一流国の扱いを受けるまでに至った経緯がございます。もちろん、日本が資金調達できたのは、国際関係の中で、帝政ロシアに対抗していたイギリス、またロシアにおけるユダヤ人排斥に対して反発していたユダヤ人金融家たちの思惑が日本を後押ししたことが大きいのです。しかし、国際金融界の大物と胸襟を開いて交渉した高橋や、ルーズベルト大統領と緊密な関係を保った金子堅太郎など国際的に活躍した人物が育っていたことも非常に大きかったのです。日露戦争の勝利は、東郷平八郎乃木希典ら軍人だけの成果ではなく、金融や外交の世界で日本を支えた人々にも多くを負っていたということでございます。