歴史から学ぶ大和魂

歴史を紐解き、日本人の大和魂が垣間見えるエピソードをご紹介いたします。

ダンピールの悲劇

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前線基地ラバウルのあるニューブリテン島と、ニューギニア島の間にはダンピール海峡と呼ばれる海峡があります。昭和18年初旬、日本軍はラエで壊滅的な打撃を受けていたが、体勢の建て直しをはかって、第51師団の残る7千名を8隻の輸送船でラエ地区に上陸させる作戦が開始されました。3月3日この船団がダンピール海峡に差し掛かった早朝、連合軍の爆撃隊が襲い掛かり、8隻全てが撃沈され3千名の約半数の将兵が海中に沈みました。生存者は駆逐艦に救助されてラバウルに引き返したが、ごく一部が着の身着のままでラエに上陸しました。これが、「ダンピールの悲劇」といわれるものであります。輸送船団を護衛する航空兵力は、すでに日本軍は失っていたのです。この時連合軍は漂流する日本軍将兵を虐殺したとされます。日本軍潜水艦を追い払った米軍魚雷艇複数隻が、救助作業中の日本軍大発動艇を撃沈したのち、機銃掃射を加えたのであります。連合軍側は後に、日本軍兵士は救助されると速やかに現場へ復帰する、捕虜となったとみせかけて米兵に襲いかかるなど、先のB-17爆撃機の生存者への機銃掃射に対する報復等の理由をあげ、この行為を正当化しました。