歴史から学ぶ大和魂

歴史を紐解き、日本人の大和魂が垣間見えるエピソードをご紹介いたします。

武士の起源について

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大和魂の源泉である、武士の起源について調べてみました。古代からずっと、平安時代頃までは、朝廷が政治の中心でした。天皇を頂点とした大和朝廷が成立しても、異民族の隼人や蝦夷との戦いのために朝廷が統制する軍隊のようなものがありました。軍隊のようなもの、つまり、武士の原形は朝廷が確立する前から存在していたわけで、最初は朝廷を構成する豪族やその配下の一族が担当していました。最初は、異民族と戦って朝廷の勢力を拡げる軍の最高指揮官が「征夷大将軍」であり、その職はそこそこ位の高い貴族が担当していました。やがて異民族の反乱が治まり日本国中に朝廷の権威が広まると、討伐軍は不要になり【征夷大将軍】は形だけの職位になりました。軍隊は朝廷警護が中心となって、高級貴族の側で警護するという意味で「侍」と呼ばれるようになり、下級貴族が担当するようになりました。下級貴族とはいっても、天皇の何番目かの皇子の子孫が地方に下って、その地域を治める役人(実質的には長官だったり、長官の下の官僚)になって、そのまま土着することが多かったのです。このことについて、現在は3つの仮説がございます。

 

1つ目は在地領主論と呼ばれるもので、平安時代末期の日本が中世であったと考えることからスタートします。地域を封建的に治める大農園主が、武装をしたことがその起源とする説になります。かなり有力な学説ではありますが、源氏や平氏といった、時代を動かした武士の起源を説明することはできないという指摘もあります。


2つ目は職能論というものです。ごくシンプルに伝えるならば、家業として武芸を身につけていった専門的な武装集団があり、国家から認定された軍事的な下請け業者が起源であるという説になります。こちらも有力ではありますが、地方武士に関しては説明がつかないこともあり、決定的とは言えません。

3つ目は国衙軍制論と呼ばれるものとなります。平安時代の中期頃から、租税の徴収を朝廷から請け負う田堵負名という存在がありました。