歴史から学ぶ大和魂

歴史を紐解き、日本人の大和魂が垣間見えるエピソードをご紹介いたします。

池田屋事件とは、、

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新選組は尊攘激派浪士の京都市中焼討ちというテロ計画の情報を得て、急いでパトロールを始めたら浪士たちの池田屋における集会を発見し、闘争におよんだというのが定説になっています。浪士たちが池田屋に集ったのは、古高俊太郎が逮捕されたのを知って、その善後策を練るため密会を開いておりました。新選組パトロール隊は、午後8時頃に祇園会所を出発しております。近藤隊10名は河原町通を北上、土方隊24名は縄手通を北上し、周辺の旅籠や料亭の御用改めを開始しました。8時半頃に祇園界隈を調べる土方隊の目撃が記録されているそうです。近藤隊が三条小橋詰の池田屋に注目したのは夜の10時半過ぎだといわれます。 事件の三日後6月8日の日付で近藤勇が、江戸の養父近藤周斎ほか五名に宛てて出した手紙には「三条小橋、縄手二箇所屯致居候処へ、二手に分れ、夜四ツ時頃打入候処、一箇所には一人も居不申、一箇所には多勢潜伏致居り。兼て覚悟の徒党の族故、手向戦闘、一時余の間に御座候。打取七人、手疵為負候者四人、召捕二十三人、右は局中の手にて働に候」とあります。これをみると、新選組は一軒一軒調べて行って池田屋にたどりついたというより、浪士の潜伏先に、ある程度の目星がついていたようにも思われます。池田屋長州藩士の定宿でもあり、前もっての情報として、潜伏先の候補地が何箇所か上がっていたのではないかなと考えます。1864年7月8日夜に同年の4月以来、多数の長州人が京都に潜入しているとの情報を得た新選組は、監察部を動員して、さらなる探索を強化しておりました。6月5日早朝、新選組は四条小橋西入ルの薪炭商・桝屋喜右衛門を逮捕連行した。屋内を捜索した結果、多数の武器弾薬の他に「烈風を期とすべし」などと書かれた密書を発見しました。桝屋喜右衛門の正体は輪王寺宮家臣・古高俊太郎と判明し、厳しい拷問により、「御所への放火と反長州派の大名襲撃後、長州勢を京都に引き入れる」という計画実行のために、四条・三条あたりの町家や旅籠に多数の長州人が潜伏していることをつきとめたのです。報告を聞いた局長近藤勇は黒谷の会津本陣に急報し、出動を要請した。京都守護職松平容保は藩兵の出動を決断し、一橋(禁裏守護総督)、桑名(所司代)、町奉行所とも打ち合わせ、新選組には、この日夜9時をもって祇園町会所に集結する事を約しました。一方、古高俊太郎が逮捕されたことを知った尊攘激派浪士たちは、三条小橋西の旅籠・池田屋で集会を開き、善後策を協議することとなった。同日午後、祇園町会所に集合した新選組は武装を整え、所司代奉行所の出動をじりじりして待つが、ついに単独で1時間早く捜索を開始することを決断した。32名の隊士を二手に分け、近藤勇が9名、副長土方歳三が23名を率いる。新選組は夜8時頃から、三条あたりの茶屋・旅籠など、しらみつぶしの捜索を開始した。近藤隊は河原町通を北上。三条小橋まで出て池田屋に注目したのは四ツ(夜10時半頃)ごろだといわれる。近藤は隊士たちに裏表を固めさせると、沖田総司永倉新八藤堂平助のわずか3人を率いて表口から進入し、御用改めである旨を告げる。亭主は驚き、2階に知らせようとするが、階段を駆け上がった近藤は、そこに抜刀して待ち受ける20人あまりの浪士たちを発見した。「新選組の御用改めである。無礼すまいぞっ!」と大声で一喝。斬りかかる浪士を一刀のもとに斬り捨てる。こうして「池田屋事件」として有名な2時間余の激闘が始まったのです。鎖を着て、籠手脛当てで完全武装の新選組だが、多勢に無勢です。近藤隊は苦戦を強いられるが、四条縄手通を捜索していた土方隊が駆けつけることにより攻勢に出ました。 近藤勇は表口と裏手を固めさせると、炊事場に永倉新八、中庭に藤堂平助を配置し、沖田総司と二人で奥の階段を上がりました。この事件で新選組は激派浪士を7人(宮部鼎蔵、吉田稔麿、広岡波秀、福岡祐次郎、大高又次郎、望月亀弥太、石川潤次郎)討取り、23人を捕縛(松田重助、山田虎之助など)するという大手柄をたて、浪士たちの陰謀を阻止したのです。近年、会津・桑名・彦根や町奉行所も探索に加わっていたとされ、池田屋襲撃も新選組の単独行動だったのか疑問が出されています。その後も、会津や桑名の藩兵とともに残党狩りを行い、翌日正午ごろ屯所に帰営した。隊士たちは皆、返り血を浴び凄惨な姿だったといわれております。新選組の死者は奥沢栄助ただ一人。重傷者は安藤早太郎、新田革左衛門、藤堂平助の3人だった。会津、桑名、彦根藩兵にも死傷者が出ております。長州藩桂小五郎は当夜8時頃に、いったん池田屋を訪れましたが、まだ同志が集まっていなくて、出直すつもりで近くの対馬藩邸に行っていたので、難をまぬがれたといわれます。